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■バルジ大作戦■
あまりにも壮大にして、
かつあまりにも意味のないドラマ
バルジ大作戦

ラインの守り作戦(1944.12.16)

 1944年6月にフランスのノルマンディー半島へ上陸した西側連合軍は、8月にフランスの首都パリやベルギーの首都ブリュッセルをナチス・ドイツによる占領状態から解放し、ドイツ本国へと迫っていた。
 東部戦線においても、ドイツ軍はソビエト軍の大攻勢によって崩壊の危機に瀕しており、8月から9月にかけてドイツの同盟国であったルーマニアやブルガリア、フィンランドなどが相次いで降伏、あるいは休戦していた。
 そのほか、地中海方面においてもドイツ軍は各所で敗退しており、1944年の冬までにはナチス・ドイツの敗北が誰の目にも明らかとなっていた。
 だが、独裁者であるヒトラー総統は、ドイツに残された攻撃戦力の全てを投じて西側連合軍へ起死回生の一撃を加え、圧倒的に不利な戦局を一気に挽回しようと考えていた。
ヒトラーの賭け
 ヒトラー総統が西側連合軍に対する大規模な攻撃作戦を構想しはじめたのは、1944年の9月中旬ごろだとされている。作戦の骨子となるのは、1940年のフランス戦時と同様にベルギー南部からルクセンブルク、フランスにかけて広がるアルデンヌ高原から機甲部隊を突破させることで、まず突破した部隊によってイギリス軍とアメリカ軍を分断する。
 さらには、西側連合軍の補給拠点となっているベルギーのアントワープを占領して、最終的にはベルギーなどに展開している西側連合軍の約30個師団を包囲、撃滅するというものだった。

 10月中旬ごろには作戦計画の草案がヒトラー総統のチェックを受け、彼自身によって作戦には「ラインの守り」という名称が授けられた。だが、西部戦線全体に責任を持つ西方軍総司令官のルントシュテット元帥と、アルデンヌを含むベルギー南部の戦線を担当するB軍集団の司令官であるモーデル元帥は、攻撃に使用する兵力の不足などを理由に挙げて「ラインの守り」作戦は成功する可能性が低く、貴重な機甲戦力をほとんど残らず投入するのはギャンブルだとして反対した。
 しかし、ヒトラー総統は「西側連合軍とソビエトとを分裂させるためには、大胆に冒険的作戦を成功させる必要がある」として、強引に作戦を実施したのである。
竜頭蛇尾
 1944年12月16日、ドイツ軍は「ラインの守り」作戦を発動した。
 作戦に参加したのは第5戦車軍と第6SS戦車軍、そして第7軍の戦車12個師団に歩兵18個師団であり、アルデンヌ方面に配置されていたアメリカ第1軍の6個師団を一撃のもとに葬り去る予定だった。

 厳重な機密保持に努めた結果、ドイツ軍の意図は察知さることなく奇襲に成功し、弱体なうえに不意を突かれたアメリカ軍は各地で分断され、孤立してしまった。
 しかし、それにも関わらずドイツ軍は肝心の主力である第6SS戦車軍が突破に失敗してしまい、第5戦車軍も交通の要衝であるサン・ヴィットの確保に失敗するなど、作戦は初日から大きくつまずいてしまう。
 特にサン・ヴィットでは、アメリカ機甲戦闘団がほんのわずかな差で救援に成功し(ドイツ軍先遣隊の到着とは、数分の差であったともいわれている)、作戦全体について回る「ドイツ軍の不運」を象徴するような経過をたどった。

 ドイツ軍はアルデンヌが戦車部隊の行動には不向きな地形である事を十分に認識しており、まず歩兵部隊の攻撃によって戦線に穴を開け、そこから機甲部隊が突破前進する作戦を立案していた。ところが、かんじんの歩兵師団は戦闘経験のほとんどない補充兵が大半をしめる再建部隊で、実際の戦闘能力は非常に低かった。
 中でも、第6SS戦車軍の第3降下猟兵師団は強そうな名前と裏腹に、空軍の地上整備員を動員して再編成された部隊であり、戦闘経験も戦術能力も装備も欠けており、兵員の充足率も低かった。

 結局、戦術能力の低い歩兵部隊は高度な訓練を必要とする浸透攻撃に失敗し、かといって火力で強引に突破することもできなかったため、北方の第6SS戦車軍はエルゼンボルン尾根で前進を阻止されてしまった。ただ、歴戦のヨーヘン・パイパーSS中佐が率いる「パイパー戦闘団」のみが突破に成功し、アメリカ軍に深刻な脅威を与えた。
 パイパーは極めて優れた状況判断能力を発揮し、伝説的なSS戦闘部隊の名に恥じぬ活躍ぶりを見せたが、22日には孤立して前進能力を喪失する。

 だが、第5戦車軍の戦車教導師団を始めとする一部の精鋭部隊は、困難な情況のもとでもなんとか突破に成功しており、攻撃の焦点は南方へ移っていった。
 12月22日にはてこずっていたサン・ヴィットを占領したほか、やはり交通の要衝であるバストーニュを包囲した。また、25日には第2戦車師団の先鋒がミューズ川付近へ到達しているなど、戦線は大きなバルジ(突出部)を形作って、西側連合軍は極めて大きな危機に直面した。

 しかし様々な補給物資、特に燃料が決定的に不足していたことや、作戦開始前から指摘されていた兵力の不足などから、ドイツ軍の攻勢も急速に尻すぼみとなっていった。
 そのうえ、12月23日ごろから天候が回復し、西側連合軍が強力な航空戦力を投入して地上部隊を支援したり、ドイツ軍の移動を妨害したりするようになると、攻守は完全に逆転してしまった。

 ドイツ軍の攻勢軸が南方に絞られたため、バストーニュが極めて重要な価値を持つようになっていた。しかし、状況判断を誤ったドイツ軍は、増援のアメリカ軍空挺部隊がバストーニュへ到達するのを阻止できなかった。その後、バストーニュを包囲したドイツ軍は降伏を勧告するが、アメリカ軍のマッコーリフ准将は「NUTS」(ばかもの、またはふざけるななどと訳される)と返答し、バルジの戦いを代表するエピソードとなった。

 突出部の先端となったミューズ川付近では、12月26日ごろまで攻撃が繰り返されていたものの、25日のクリスマスまでにドイツ軍の突破は完全に不可能となっていた。
 同じ頃、ドイツ軍はバストーニュに対しても激しい攻撃を加えていたが、26日にはアメリカの第4機甲師団が救援に到着し、攻略は完全な失敗に終わった。

 しかし、思わぬ奇襲を受けた西側連合軍はドイツ軍に対する警戒心を強め、突出部の掃討は年明け以降に行われた。
 また、機動力の不足や地形的な悪条件から、ドイツ軍の誇る重戦車が攻撃の時にはほとんど戦闘能力を発揮していなかったものの、防御戦闘においては極めて大きな脅威となったということも、アメリカ軍が反撃をためらった原因のひとつとしてあげられるだろう。

 また、新年1月1日早朝には、ドイツ空軍が残っていた戦闘機戦力を結集して連合軍の戦術航空隊基地を空襲するという「ボーデンプラッテ作戦」が発動され、連合軍の各種航空機を数百機も撃破している。
 この作戦については、ドイツ空軍が非常に大きな損害を受けて戦闘機戦力が事実上壊滅したことに加えて、連合軍もすみやかに航空戦力を再建したことから、無意味な自滅行為と批判されている。
 だが、連合軍の反撃が比較的低調だった背景には、たとえ一時的にせよこの作戦によって連合軍戦術航空部隊の活動が不活発となったということもあるだろう。

 大きな突出部が形作られた事から、ドイツ軍が実施した「ラインの守り」作戦はバルジの戦いとも呼ばれるようになった。戦いの中では、アメリカ軍に化けて戦線後方をかく乱したスコルツェニー部隊の活躍、ティーガー重戦車とシャーマン戦車との戦車戦など、戦術、作戦面においては興味ぶかいエピソードがいくつも生まれている。
 その他、第21軍集団司令官であるイギリス軍のモントゴメリー元帥が、一見すると消極的な作戦指導を行ったが、実はドイツ軍の補給状態から攻勢が尻すぼみになる事を知っていたことによるものだという仮説などもあり、戦史ファンにとっては興味のつきない戦いである。

 これらエピソードの中でもスコルツェニー部隊とは、いくつもの特殊作戦を成功させたことから「ヨーロッパで最も危険な男」と称されたオットー・スコルツェニーSS中佐が率いる特殊部隊である。部隊はアメリカ軍に擬装した英語の話せるドイツ軍兵士から編成され、作戦遂行上に重要な橋を占領したり戦線後方をかくらんする事を目的としていた。

 部隊そのものは、英語の話せる兵士もアメリカ軍の捕獲装備も決定的に不足していたため普通の戦闘部隊とほとんど同様に攻撃を行い、そしてなんの成果もあげなかった。

 だが、後方かく乱を目的とした特別行動班は大きな成功を収め、一時的にせよアメリカ軍はパニック状態におちいったのである。実際、戦線後方では常軌をいっした不審者検問が繰り広げられ、第12軍集団のオマー・ブラッドレー中将、までもが不審者として拘束されるという異常事態が発生したほどで、バルジの戦いを解説するにあたっては必ず登場する笑い話となっている。

 しかし、問題はこの戦いの持つ「戦略的な意味」であり、その観点からすれば数々の戦術的、あるいは作戦的なエピソードにとらわれすぎることは危険といえるだろう。
 結果的には、ドイツ軍が無謀な攻撃を強行して自滅した戦いであり、戦局にはほとんど影響を与えることがなかった。しかも、貴重な戦車と航空戦力をつぎ込み、その大半を無意味に失ってしまったのである。

 だが、最初から「成功する見込みのなかった」作戦だったのか、あるいは様々な不運や誤判断の積み重ねから「結果的には不成功となった」作戦だったのかという点については、研究者の間でも意見のわかれるところである。
 これは、歴史的な事件の成立過程において、たとえばヒトラーをはじめとする意思決定レベルの人々の動きという個人的な要因を重視するか、あるいはドイツ軍とアメリカ軍の戦術能力や補給物資の充足率といった集団的、組織的な要因を重視するかによっても結果は大きく異なるため、なかなか結論のでないテーマだ。

 しかし、結論のでないテーマであるからこそ研究の余地があるわけで、みなさんも今回紹介したような各種資料を読み、バルジの戦いに対する独自の見解を構築してみてほしい。

 また、戦術、作戦的な部分においても、勝利を目前にした段階で情報の収集、あるいは分析に失敗してしまい、攻撃能力を喪失したと「思いこんでいた」敵から予想外の反撃を受けて大きな損害を被るというのは、アメリカ軍が抱えている数少ない欠点のひとつである。

 この欠点は、第2次世界大戦後の朝鮮戦争でも表面化してしまい、ベトナム戦争におけるテト攻勢もその欠点が表面化したといえなくはないだろう。
 特にアメリカ軍の立場からバルジの戦いを調べてみることによって、アメリカ軍の持つ強さと弱さをより具体的に知ることができるかもしれない。

 様々な資料を比較検討しつつ、独自の見解を組み立ててみる。これは戦史研究の「最も楽しい部分」であり、ぜひともチャレンジしていただきたい楽しみだといえる。

<本文:松代守弘 / 書評・製作:EEG 相曽 / 監修:(株)チキンヘッド 南・EEG 相曽>

アルデンヌ攻勢 1 バルジ大作戦 (上) 2 バルジ大作戦(下) 3 バルジの戦闘(1) 4 バルジの戦闘(2) 5
書籍紹介
 このバルジの戦いの全体像を簡単に掴むには、やはり入門書の定番といえる「アルデンヌ攻勢(歴史群像 欧州戦史シリーズ VOL.9)」が適当であろう。

 また、「アルデンヌ攻勢」より踏み込んでバルジの戦いを知りたいならば、ノンフィクション小説としてハヤカワ文庫の「バルジ大作戦 (上)(下)」と写真集として「バルジの戦闘(1)(2)」を推薦する。
 「バルジ大作戦」は、ノンフィクション小説として定評がある作品であり、「バルジの戦闘」は、写真集だが、その解説文の出来も良く、戦い全体をひろく扱っている良書である。

 そして、バルジの戦いを戦術や戦闘のレベルで知りたいなら「SS第12戦車師団史・下 ヒットラー・ユーゲント」を推薦する。
 バルジの戦いでのSS12戦車師団の戦いと言うと、電撃戦を再現したようなパイパー戦闘団の進撃や先鋒部隊がミューズ川へ到達した国防軍第2戦車師団の影に隠れてマイナーな存在だが、実際にはSS12戦車師団の戦ったビュットゲンバッハの戦いは、作戦上重要なクライマックスのひとつであり、本書は、その戦いの様子を多くのページを使って紹介している貴重な一冊で、筆者お勧めの一冊でもある。

 また、この時期のドイツ軍の編成や装備兵器、戦術に付いては 「ドイツ装甲部隊全史III (歴史群像 欧州戦史シリーズ VOL.13)」が手軽だが要所を押さえて紹介している。

 兵器から見たバルジの戦いの要点と言えば、その効果に是非両方の意見があるとは言え、やはり当時最強の戦車のひとつに数えられるケーニヒスティーガー重戦車の大量投入であろう。
 このケーニヒスティーガー重戦車に付いては、多くの書籍があるのだが、今回は「ケーニッヒスティーガー重戦車 1942-1945 (世界の戦車 イラストレイテッド 1) 」を紹介したい。本書は、ページ数や価格で手軽なサイズの一冊なのだが、美しいイラストに加え、構造解説やエピソード紹介等に専門書にも負けない内容を含んでいるところが魅力である。

 この当時世界最強級のケーニヒスティーガーをはじめとするドイツ軍戦車に対抗した米軍戦車隊の主力が、極めて平凡な戦闘能力しかもたないM4シャーマン中戦車である。
 やはり、シャーマン戦車についても世界の戦車イラストレイテッドシリーズの「シャーマン中戦車 1942-1945 (世界の戦車 イラストレイテッド 5)」を紹介したい。こちらもケーニヒスティーガーと同様にサイズの割に優れた内容を紹介している一冊である。
 特に車体外部に土嚢を取り付ける事による防御効果等は、他書に無い優れた記事だと思う。

 また、M4シャーマン中戦車以外の連合軍戦闘車両については、「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車 増補改訂版」が内容のまとまりも良く、掲載された戦車の写真も見やすいのでお勧めである。
 もちろん、この本にも西側連合軍の主力戦車であったM4シャーマン戦車が掲載されている。

 バルジの戦いは、日本では人気のためか攻撃側だったドイツ軍側が重視された書籍が多いのだが、「U.S.ミリタリー雑学大百科 Part 2」は、不完全だった米陸軍の冬季装備の状況等、防御側となった米軍のエピソードや作戦の様子を多く紹介している一冊で、バルジの戦いを違った側から眺める事ができるので、おもしろい。

 また、違った側と言えば、「将軍たちの戦い -連合軍首脳の対立-」では、バルジの戦いにおける米軍の将軍達とイギリス軍のモントゴメリー将軍との駆け引き等、連合軍内部での戦闘より一次元上の政治的な軋轢や問題までが紹介されていて、軍事マニアだけでなく、政治や国際関係に興味がある者にも興味深い一冊となっている。

 それから珍しい内容の一冊として、ドイツ空軍が、ラインの守り作戦と連携して行った、最後の大作戦であるボーデンプラッテ作戦に付いても扱っている「ドイツ空軍の終焉」を紹介しよう。
 ボーデンプラッテ作戦は、失敗に終わったこともあり規模の割にマイナーな作戦なので本書は作戦の概要を知ることができる数少ない書籍である。ちなみに本書は、他の戦いも多く取り扱っており、第2次大戦末期の欧州での航空戦を解説した資料としても重要な一冊である。

 最後に、洋書を1冊紹介しよう。
 バルジの戦いは、特にアメリカで高い人気を誇っており、海外では多数の資料が出版されている。
 ただし、その中でも優れた書籍の多くは、既に邦訳があるため、ここでは「ARDENNES 1944(OSPREY/CAMPAIGN SERIES)」を紹介しておく。
  1. 「アルデンヌ攻勢 (歴史群像 欧州戦史シリーズ VOL.9)」(学習研究社)\1,600
  2. 「バルジ大作戦 (上) (ハヤカワ文庫NF 18)」(早川書房) \660
  3. 「バルジ大作戦 (下) (ハヤカワ文庫NF 19)」(早川書房) \660
  4. 「バルジの戦闘(1) (激闘 西部戦線 3)」(デルタ出版)\2,238
  5. 「バルジの戦闘(2) (激闘 西部戦線 4)」(デルタ出版)\2,238
  6. 「SS第12戦車師団史・下 ヒットラー・ユーゲント」(大日本絵画)\4,100
  7. 「ドイツ装甲部隊全史III (歴史群像 欧州戦史シリーズ VOL.13) 」(学習研究社) \1,700
  8. 「ケーニッヒスティーガー重戦車 1942-1945 (世界の戦車 イラストレイテッド 1)」(大日本絵画)\1,300
  9. 「シャーマン中戦車 1942-1945 (世界の戦車 イラストレイテッド 5) 」(大日本絵画)\1,300
  10. 「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車 増補改訂版 」(デルタ出版)\3,048
  11. 「U.S.ミリタリー雑学大百科 Part 2 」(グリーンアロー出版)\2,286
  12. 「将軍たちの戦い -連合軍首脳の対立- 」(早川書房) \2,427
  13. 「ドイツ空軍の終焉」(大日本絵画) \2,427
  14. 「ARDENNES 1944」(OSPREY/CAMPAIGN SERIES)
    (価格は税抜き表示です。)
SS第12戦車師団史・下 ヒットラー・ユーゲント 6 ドイツ装甲部隊全史III 7 ケーニッヒスティーガー重戦車 1942-1945 8 シャーマン中戦車 1942-1945 9 第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車 10
U.S.ミリタリー雑学大百科 Part 2 11 将軍たちの戦い 12 ドイツ空軍の終焉 13 ARDENNES 1944 14


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